お前らに毒親の子育ての恐怖を教えてやろう

毒親に育てられた子供の悲惨な思い出を綴る。書くのも辛いが。書いたところで、この世の毒親が改善するわけないどないが。やるせない思いしかないが。それでも書くことで、俺の精神が少しでも落ち着けば・・・それも無理だろうがww

戸籍から外れたい・・

正月だが、いつもどおり一人。

なにもやることがない。

人間って、人と話してない期間が長いと気がふれそうになるのな。

まあ、いつものこと。

なんとか今回も乗り切る。

 

実家に帰るという選択肢はもちろんない。

毒親がいる。

膨大なストレスでぶん殴ってしまいそうだ。

耐えられない。

まだ孤独にいる方が安心だ。

孤独の方が、はるかに精神にはいいんだから。

 

これだけ絶縁状態だから、戸籍とかなんとかならんもんだろうか?

俺が子供のころ、男毒親の口癖は「勘当するぞ!!」だった。

毎回そればかり言う。

俺は幼かったので、泣いたりしたこともある。

家から出ていけともしょっちゅう言われた。

すぐに殴られたし、冬でも家の外へ追い出されてカギを締められるとか

日常茶飯事だった。

俺は幼かったから、泣いた。

泣いて泣いて、それでやっと許してもらっていた。

 

恐ろしいのは、

子どもごころに、「それでも親が正しい。」と思っていたことだ。

子どもは判断ができない。

人生経験が少ないからな。

そこに「つけこむ」のが毒親だった。

 

全く人としての扱いは受けてないわけだ。

 

さて、「勘当される」=「戸籍から抜ける」=法的にも完全に無縁となる。

だと思っていたので、ちょっと嬉しくなって、ネットでいろいろ調べてみたが。

 

勘当って、できないんだよな。

実際には、戸籍から外れるのは不可能に近いようだ。

 

勘当されたい。

完全に縁が切れる。

完全に他人。

 

夢の様な状況だが、その夢は叶いそうにはないな。

自由が欲しい。

 

毒親サバイバル (中経☆コミックス)

 

ゴールデンウィークに家族で過ごしてる人達

ゴールディンウィークになった。

 

嫌だな。

 

どこに行っても、家族が幸せそうにしてる姿が見える。

TVでも海外旅行やら帰省やらの様子が放送される。

遊園地や飲食店はここぞとばかりにPRをしている。

 

楽しそうな親子の姿。

 

俺にはなかった。

「家族が楽しそうに遊びに行っている。」

 

この様子は、俺からみたらまるで蜃気楼を見てるみたいに見える。

なんなんだろうな。

本当にこの世のものなのだろうか?

 

まあ、毒親家庭もあるだろうし、100%の家族が幸せなわけないだろうけどな。

でも、だいたいにおいて、楽しいんだろう。

きっと。

 

俺も、何十年か前には、そういった姿を羨ましく思ってた時期があるのだろうか?

あったっけ?

記憶もうあいまいだ。

 

俺にって、ゴールデンウィークに帰省とか絶対にありえない選択。

何もやることがなくて、一人ぼっちで、孤独と退屈と空虚さに苦しんでいても

家族と会うことと比較すると、一人の方がはるかに天国だから。

 

人間は生まれて、家族を持つのが幸せだという人がいる。

そりゃそうなんだろうけど。

普通の親ならば。

 

ならば、自分自身が家族を持った場合は・・・?

俺は、間違いなく、毒親の真似はしない。

もし結婚して、もし子供ができて、もしも家族ができたら、子供の言うことを尊重するだろう。

 

いや、してただろう。

そして、ゴールデンウィークには、家族で楽しく旅行にでも・・・?

 

いや、楽しく?

楽しくってなんだ?

楽しいってなんだっけ?

 

 

俺は結婚をしなかった。

 

どうしても、どうしても、どう頑張っても、家族を持ったら幸せという概念が理解できなかったのだろう。

味わったことないもの。

 

俺は、ゴールデンウィークを一人ですごず。

もうずっと一人だ。

この先もずっと。

来年も、再来年も、ゴールデンウィークは一人。

 

毒親絶縁日記

 

 

先月 女毒親が死んだ

先月の話。

家族からメールがあった。

毒親脳梗塞で倒れたとのことだった。

 

俺は考えた。

今、自分が何をすべきか。

一般社会的にはどうか。

俺の場合はどうか。

 

どう感じるべきか。

一般社会的にはどうか。

俺の場合はどうか。

 

 

親が倒れたら、普通は駆けつけるんだろう。

心配をして涙も流すんだろう。

 

しかし、俺は考えた。

自分の気持ちはどうだ?

 

答えは、「なんとも思わないだった。」

それどころか、子供のころ、口酸っぱくなんども言われた言葉を思い出して

不快な気持ちになった。

 

毒親キチガイみたいな教育指導に嫌気がさし、

何度も何度も抵抗した。

その際、いつも言われてたのが、

「親不孝者が。そんな態度だと親の死に目に会えないよ!!」と。

 

毒親の感覚では、親は絶対的に優れた存在で、絶対に子どもが大事にして

もらえるものだった。どんなことがあっても、絶対に、だ。

あんなに明確に反抗し、抵抗し、嫌ってたのに、キチガイだからそれがわからない。

だから、「親の死に目に会えない」=「子供にとって不幸なこと」だったのだ。

 

思い出すと、本当に腹が立ってきた。

もちろん、病院へ駆けつけたりもせず、平常通りの生活を送った。

 

何日かして、女毒親が死んだ。

また俺は考えた。

一般的にはどうするか?

 

葬式にはでるだろう。

普通は。

 

しかし、俺は何度考えても、女毒親を一目見ようとも思わなかったし、

葬式にもいかなかった。

 

何度も何度も何度も考えたけど、女毒親の死は、自分にとっては全くどうでも

いいことだったんだ。

 

そして、ひとつの目標を達成瞬間でもあった。

毒親を何度も何度も殺してやりたい気持ちにもなっていたが、

そんなことは当然できないので、

「一生無視し続ける」という目標を立てていたのだ。

子どものころから立てていた目標をきちんと達成できた。

 

脳梗塞だから意識がどうだったのかなんてわからない。

ただ、死ぬ間際のその瞬間に、一度でも一瞬でも

「自分は子どもに酷いことをした、自分が悪かった。」と反省をしたのだろうか

とも思う。

 

まあ、無理だろう。

毒親キチガイだから、いつも論点も観点もズレてんだよな。

反省したとしても、それは俺の望む反省ではないなにかだっただろう。

 

このブログを読んだ人はどう感じるのだろうか?

ごく一般の家庭であり、最小限でも家族の愛情や絆がある人たちには、

葬式にすらでない俺の行動は奇異に映るだろう。

場合によっては、怒る人もいるかもな。

俺がおかしいと。

 

 

しかし、そんな話はちゃんちゃらおかしい。

そういう連中は、毒親というものの恐怖なんて全くしらないわけだからな。

わかるわけがないんだよ。

 

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒親を死刑にする法律があればいいのに

毒親といると、本当にどうしようもない気持ちになってくる。

手の施しようがないんだな。

 

殺してやりたくもなるが、殺すわけにもいかない。

刑法があるからな。

 

じゃあ、毒親を死刑にする法律があればいいのにな。

 

ちゃんと裁判して、

毒親の罪状を明確にして、

司法が毒親を死刑にする・・・。

子どもの人生を抹殺する様なことをやってる毒親には、

これくらいやってもいいと思うのだが。

 

まあ、そんなことはないことぐらいわかってる。

 

で、俺がどうしたかというと、毒親との縁を一切切ってしまったんだ。

 

中学1年か2年の時だったかな?

毒女親と俺はケンカになった。

当然だが、俺の主張は受け入れない。

効く能力がないからな。

何を言っても無駄だ。

 

「殺すぞ!」と言ってみた。

毒女親はニヤニヤ困った様な不気味な笑顔でこっちを見ている。

心のどこかで、「息子はいつか息子自身の間違いに気づいてくれるはずだ。」と

そういう根拠のない自信だけは見えた。

 

「俺は、もう将来、どんなことがあっても親の面倒は一切みない。

 いいのか?」と言ってみた。

 

「好きにしなさい。」と答えた。

 

俺の言葉は重かったが、毒女親は軽く受け止めた。

俺は本気で言ったんだ。

お前らの面倒をみないといった俺の言葉は本気だった。

そして、好きにしなさいという言葉を了解と判断した。

 

重い、本当に重い決断だったんだ。

しかし、毒女親は、まさか本気で言ってるとは思ってなかったんだな。

キチガイめ。

 

 

 

それから30年以上がたった。

俺は、毒女親とは一切連絡をしてない。

いや、親戚の葬儀の時に一度会ったか。

しかし、会話はしていない。

 

兄弟からの便りによると、現在の女毒親は介護が必要な状態だと聞いた。

しかし、俺は一切動かない。

カネは当然ださないし、助けにもいかない。

できる限り苦しんで死んでほしい。

 

まともな家庭に育った輩からすれば、俺のことは恐ろしく見えるかもしれない。

しかし、本当に恐ろしいい目にあったのは俺の方なんだよ。

それでも非難はされるんだろうな。

「親はありがたいものだ。親孝行しなさい。」とな。

何も知らない連中がうるせえんだってんだよ。

 

 

ここはすごく重要なところなんだよ。

毒女親が介護が必要な状態で苦しんでいる。

ここでもし俺が手を差し伸べたら何が起こるかわかるか?

 

一瞬で、本当に一瞬で、

毒親は、「それみたことか。やっぱり息子は私を大切に思ってくれてたんだ。」

とか考えるのは確実なんだよ。

 

 

なんたる屈辱か。

毒女親が、死ぬ間際まで、そして死んでからも、一切、完全に完璧に俺は会うことはない。

そしたら、死ぬ間際でやっと毒女親はこう思うかもしれない。

「私がこんなになっても息子はとうとう最後まで来なかった。

 ひょっとしたら、私が間違ってかもしれない・・・。」と。

 

ここまでやって、はじめて俺という人間の個を親が認めることになるかもしれない。

 

それ以外はない。

心底どうでもいい毒女親に、ほんのわずかな手を差し伸べるだけで、

許されたなどと勘違いさせることだけは、断じて避けなければならない。

 

司法で、毒親を死刑にする法律でもあればいいのだが、そんなものはできない。

死刑にはできない、殺すわけにはいかない、せめて完全に会わないことで、

殺したと同様の状態に持って行くことだけが、唯一できることなんだよ。

 

俺のことを異常だと思うか?

笑わせる。

毒親の元に生まれてみろ。

この地獄は、毒親を持ったヤツにしかわかるはずもないからな。

 

 

生きるために毒親から逃げました。【電子限定特典付き】 (コミックエッセイの森)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「親はありがたいもの。感謝しなさい。親孝行しなさい。」とか言われる地獄

世間一般では親はありがたいものらしいな

 

 

道徳観念なのかなんなのか。

一般的には親はありがたいものらしい。

 

ふーん。

 

親に感謝しないさい。

親孝行しなさい。

 

あ、そ。知ったこっちゃねーな。

 

 

地獄なのは、こういった立派な発言って、多くの人が支持してるんだよな。

まあ、普通レベルならいいんじゃね?

ただ、毒親家庭の子供にもこんなこと言うの?

 

死ねや。

 

 

親への「無条件感謝」を推奨する狂った世論

実態として、事実として、子供の精神にダメージを与えることしかできない毒親に感謝なんてする必要はないだろ。

無条件感謝を推奨する狂った一般的な世論が許せない。

 

お前ら、毒親の何を知ってるってんだよ。

 

そして、この「無条件感謝」が曲者なんだよな。

恐ろしいことに、

うちの女毒親は、この「無条件感謝」をやたらと強要するんだ。

 

「産んであげたんだから感謝しなさい。

 感謝が足りない。

 感謝が足りない子どもは悪い子供なんだよ。」

 

ってな具合だ。

 

もうさ、人間同士のやりとりじゃねーよな。

 

なんで毒親に対して感謝の気持ちなんてでてくんだよ。

頭おかしいのか?

 

「お前は頭がおかしい。狂ってる。」と親に何度も言った。

毎日言った。

 

だけど、理解できねーんだよな。

だってさ、世間一般では「無条件感謝」って素晴らしいことみたいに言うから。

 

いい加減にしろよ。

世間は、キチガイでも毒親に感謝しないといけないって言ってるんだ。

イカレてるな。

 

 

そもそも良く考えてもみろよ。

感謝ってのは、本来他人から命令や強要されてするもんじゃねーだろ。

 

実態中身がないから感謝されてないのにな。

そんなこともわかんねーやつが多すぎる。

 

 

そして、毒親の子供は理解されない。

理解されないどころか、世間からも感謝しろとか言われる。

 

狂ってるな。

世の中狂ってる。

 

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サザエさんが大嫌いだった

俺は子供のころサザエさんが大嫌いだった。

大人になった今でもだが。

 

サザエさんと言えば国民的マンガともいえるのか?

長寿の番組で日曜の夕方になると、見てるやつも多いんだろう。

長く続くということは、それだけ視聴率も稼げる人気番組ってことだろうからな。

 

だけど、俺は大嫌い。

いまでも大嫌い。

 

なぜ嫌いなのか?

 

あの、家族一家が団らんしているシーンが大嫌いなんだ。

ちゃぶ台かこって、みんなでワイワイ飯食ってるシーンな。

 

俺は、家族と食事していて楽しかったことなんて一度もない。

 

食事の時間は、いつもストレスだった。

毒親と一緒に食事なんかして、楽しいわけねーだろうが。

 

対話なんて一切ないし。

ただ一方的にだらだらと、意味のないことを話しているだけ。

見た目は団らんに見えても、中身はクズみたいな内容。

 

嫌だな。

 

毒親家庭に育った俺は、とうとう「家族そのもの」に対してすら嫌悪感を持つ様になってるんだ。

 

 

だから、同様に、家族で楽しくバーベキューとか、旅行とか、信じられない。

休みの日になると、楽しそうにしている親子連れ。

笑顔で楽しそう。

 

あれが、俺にはとてもとても信じられないんだ。

 

 

家族の絆?何それ。都市伝説か何かなのか?

 

もしこのブログを読んでいて、「家族とすごす時間最高!」とか思ってるやつは、

俺の書くことなんて理解できるわけないだろうな。

いや、考えたことすらないだろう。

 

そして、こういう連中は俺みたいないなやつみて、こう言うんだ。

「家族を大切にしない人間なんて最低。

 親はありがたいものだ。

 親に感謝しなさい。」 とな。

 

死ねや。

お前ら、毒親をもった地獄なんてわかんねーくせによ。

 

 

毒親の恐怖。

それは、深く、本当に深く子どものこころをすりつぶしてしまうんだぜ。

きついんだ。

毎日、毎日、これまでも、これからも。

 

「毒親」の正体―精神科医の診察室から―(新潮新書)

「子どもを自由にのびのび育てている」という実態を伴わない間違った思考回路。キチガイである。恐ろしい。

毒親の恐怖は続く。

 

毒親は、子どもにピアノを練習させることに異常な執着を示していたことは、前に書いた通り。

 

毎日毎日、やりたくもないピアノの練習をしないといけなかった。

ピアノなんてやっててもやってなくても人生には関係ないのだが、女毒親の中では極めて重要項目であった様だ。

 

さて、俺は7年位、ピアノの練習を無理やりやらされていたわけだが、女毒親はそうは考えない。

「あなたの好きなように育てたでしょう?何が不満なの?」とマジで言ってくる。

 

怖い。

どこに自由があったのか。

自由があるなら、人生にどうでもいいピアノなんて、やりたければやれば良いし、やりたくなければやらなくても良い。

そもそも音楽なんて、楽しんでやらなければ意味がない。

強制的にやることにどんな意味があるのか。

本当に恐ろしい思考である。

 

 

子どもの欲しいオモチャにしてもそうだった。

毒親は、ダイヤブロックとオセロにこだわっていた。

知育玩具であることは間違いないのかもしれないが、ダイヤブロックとオセロをやらせておけば、将来学者や社長になれるという位に考えていた様だ。

 

で、子供が本当にほしい、ロボットのおもちゃを要求すると、激しく否定される。

毒親にとっては、知育玩具ではないし、くだらないものだったんだ。

ちなみに、そのオモチャのロボットなんて、もうおっさんになった俺からすればくだらないものだ。

 

でも、そういう問題ではなく、

子どもが、その当時には、間違いなく最高の宝物になるものだったんだ。

 

この子どもが「欲しいと思ったものを、自分の意志で決めることができる。」という

ごく当たり前のことを認めるということが、本当の自由なんだ。

 

毒親にはわからない価値観だがな。

自分がくだらないと思ったものは、子どももくだらないと思うべきという異常さだったから。

 

子どもの思考は極めて不自由で、しばられて、女毒親の顔色ばかりみる生活になる。

これのどこに自由があるのだ?

 

 

しかし、女毒親は理解力がない。

あらゆる思考を縛りつけていたくせに、

「自由に育ててあげてるでしょ?」ということを平気で言うんだ。

 

どこにも実態はない。

しかし、女毒親の表情を見る限り、本当に本当にそう思っている様だ。

自覚がなくて、悪気がないんだな。

 

恐ろしい。

せめて悪気があってくれた方が人としてまともなんだが。

善意100%で子どもの思考を制限したり操作したりしようとする当たり、

本当に恐ろしい話である。

 

毒親サバイバル (中経☆コミックス)