先月 女毒親が死んだ
先月の話。
家族からメールがあった。
俺は考えた。
今、自分が何をすべきか。
一般社会的にはどうか。
俺の場合はどうか。
どう感じるべきか。
一般社会的にはどうか。
俺の場合はどうか。
親が倒れたら、普通は駆けつけるんだろう。
心配をして涙も流すんだろう。
しかし、俺は考えた。
自分の気持ちはどうだ?
答えは、「なんとも思わないだった。」
それどころか、子供のころ、口酸っぱくなんども言われた言葉を思い出して
不快な気持ちになった。
何度も何度も抵抗した。
その際、いつも言われてたのが、
「親不孝者が。そんな態度だと親の死に目に会えないよ!!」と。
女毒親の感覚では、親は絶対的に優れた存在で、絶対に子どもが大事にして
もらえるものだった。どんなことがあっても、絶対に、だ。
あんなに明確に反抗し、抵抗し、嫌ってたのに、キチガイだからそれがわからない。
だから、「親の死に目に会えない」=「子供にとって不幸なこと」だったのだ。
思い出すと、本当に腹が立ってきた。
もちろん、病院へ駆けつけたりもせず、平常通りの生活を送った。
何日かして、女毒親が死んだ。
また俺は考えた。
一般的にはどうするか?
葬式にはでるだろう。
普通は。
しかし、俺は何度考えても、女毒親を一目見ようとも思わなかったし、
葬式にもいかなかった。
何度も何度も何度も考えたけど、女毒親の死は、自分にとっては全くどうでも
いいことだったんだ。
そして、ひとつの目標を達成瞬間でもあった。
女毒親を何度も何度も殺してやりたい気持ちにもなっていたが、
そんなことは当然できないので、
「一生無視し続ける」という目標を立てていたのだ。
子どものころから立てていた目標をきちんと達成できた。
脳梗塞だから意識がどうだったのかなんてわからない。
ただ、死ぬ間際のその瞬間に、一度でも一瞬でも
「自分は子どもに酷いことをした、自分が悪かった。」と反省をしたのだろうか
とも思う。
まあ、無理だろう。
反省したとしても、それは俺の望む反省ではないなにかだっただろう。
このブログを読んだ人はどう感じるのだろうか?
ごく一般の家庭であり、最小限でも家族の愛情や絆がある人たちには、
葬式にすらでない俺の行動は奇異に映るだろう。
場合によっては、怒る人もいるかもな。
俺がおかしいと。
しかし、そんな話はちゃんちゃらおかしい。
そういう連中は、毒親というものの恐怖なんて全くしらないわけだからな。
わかるわけがないんだよ。